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大阪地方裁判所 昭和39年(ワ)1593号 判決 1966年6月10日

原告 末松登美子

同 末松義浩

右法定代理人親権者母 末松登美子

右訴訟代理人弁護士 岡沢完治

同 三橋完太郎

同 得津正凞

同 芦田礼一

右訴訟復代理人弁護士 渡部孝雄

被告 大阪府

右代表者知事 左藤義詮

右訴訟代理人弁護士 道工隆三

同 長野義孝

同 木村保男

同 中務嗣治郎

右訴訟復代理人弁護士 加地和

主文

被告は、原告末松登美子に対し二、六六五、六九七円を、同義浩に対し四、五五八、二六六円およびこれに対する昭和三九年五月五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、仮に執行できる。

事実

第一、申立て

(原告)

主文同旨の判決および仮執行の宣言。

(被告)

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、請求の原因

一、1.訴外亡末松義己は、原告末松登美子の夫であり、同義浩の父であるが、同三八年一月一日午前六時頃、大東市新田八二九番地先の大阪府道大阪生駒奈良線(以下本件府道という)の路上(以下事故現場という)において、右府道の設置または管理のかしに基づく左記事故により死亡した。

義己は、元日の成田不動尊参詣を終え、帰宅しようとして第一種原動機付自転車(大東市一―〇九四一号)を運転して本件府道を東から西へ進行して来た。当時事故現場附近で道路舗装工事が施工されており、道路の北半分が南半分より七糎低く、その境目が鋭い段落となっていたのに、工事施工中であることを示す何らの標識も設置されていなかったため、その段落にハンドルをとられて転倒し、道路上に投げ出されていたところを、後続車輌(不詳)に頭部をひかれ、頭部および左顔面挫滅により死亡するに至った。

2.本件府道の事故現場附近は本来道路として備えているべき性質や設備を缺いていた。

本件府道は、鴻池新田から太子田に至る総延長一、二七四米に達する道路舗装工事中であり、工事期間は同三七年五月三〇日から同三八年二月一五日までであった。そして本件事故は同三八年一月一日に発生した。右事故当時には工事区間一、二七四米中、未完成部分は約八〇米であり、事故はこの未完成部分で発生した。未完成であるから、通常の道路としての性質、設備を缺いていたことは明白である。しかるにこういう道路を完成道路と同様に通行の用に供したところに設置または管理のかしが存する。

3.更に危険防止との関係でかしの有無を検討するに被告は本件府道につき損害発生防止に必要な措置を施こしていなかった。

工事標識予告板等の設置は業者に義務づけられているところであるが、右工事現場にはこれらが存在していなかった。

工事の基点および終点にも工事標識はなかった。仮に基点と終点に被告主張の如き看板があったとしても、一、二七四米離れた両端に存在したわけであり、工事中の未完成部分はそのうちの僅か八〇米に過ぎない。また、占用工事を実施する場合には「工事現場には柵又はおおいを設け夜間は赤色燈をつけ、その他道路の交通の危険防止のため必要な措置を講ずること」を要する(道路法施行令一五条五号)から、本件工事についても、看板だけでは足らず、占用工事と同様に右の措置を講ずる必要があった。

本件事故現場には当初右の如く柵で囲いを設け夜間は赤色燈をつけていたのに同三七年一二月二八日か二九日にその囲いや豆球の標識を取りはずしてしまったのである。

仮に被告主張のように起点終点に工事標識があったとしても、同標識から約三〇〇米は完成道路であったのであるから義己としては本件道路工事が完成したと考えても無理ではない。三〇〇米走行したところに突然未完成部分が出てくることは予想できない。もともと或程度凹凸のある道路なら義己も注意して走るであろうが、三〇〇米の間この道路は完成したよい道路であると思わせておいて途中から急に未完成部分が出現するのであるから、この未完成部分にこそ、その旨を表示するべきであって、起点、終点の標識の存否は重要ではない。しかるに未完成部分にその表示がなかった。

4.本件事故現場の段落は、通常人には一見しただけではその存在を認めることができなかった。

5.義己が道路の中央線附近を通行していたことによって被告の責任はなくならない。

そもそも道路の設置または管理にかしがあったか否かということと、義己が、中央線附近を通行中事故が起きたこととは全く別箇の事柄である。

義己は、原動機付自転車を運転して、本件事故現場までは転倒後の位置から考えても、道路の左側部分を通行して来たのである。道路の状況その他の事情によりやむを得ないときは、道路の右側部分を通行することができる(道路交通法一七条四項参照)のであり、仮に本件事故の場合が右の例外に該当せず左側部分を走る義務があったとしても、本件道路が幅員一一米のものとして全部開放されていた以上、道路交通法違反に基づいて処罰されることは別として、車輌の運転者が道路幅員全部を有効に使用することは、道路の設置者、管理者たる被告としては当然予期しうることである。

被告は段落を残したまま放置していたのであるが、道路管理者としては、右の如く中央線附近を通る車もあり、容易に事故の発生が予想されるのであるから、交通の危険を防止するため道路の通行を禁止し、または制限すべきであった(道路法四六条)。

6.義己のスピードの出しすぎによる転倒ではない。

事故時の義己のスピードは不明であるが、義己は常日頃注意深い運転をしていたものであって交通事故を起こしたことは一度もない。

未舗装部分におちてから一五・七米走っていることについては、事故現場のスリップ痕はよろめいて残したもので、ブレーキを踏んでできたものではないから、制限速度内で走っていても一五・七米位走ってしまうことは十分あり得ることである。

7.本件道路に段落がなかったならば、義己が転倒の上死亡することがなかったであろうということについては、争いのないところと解する。そして段落と義己の死亡との間には、相当の因果関係がある。

道路上の段落は通常本件の如き事故を発生させる、換言すれば本件事故の発生は被告には予見できたものである。

8.被告は義己が未舗装部分に入った際ブレーキをかけず漫然一五・七米も走ったから起こったものであると主張しているが、義己は道路中央の段落に車体の安定を奪われ、「左足のせ」が道路に接触し、よろめき運転になったのであって、転倒防止に精一杯であり、ブレーキを踏む余地はなかったのである。またこのような場合にブレーキを踏んでいたならば、義己は早く転倒したはずである。

9.被告は時速四〇粁で走っていても一〇〇米手前から段落を発見認識できると主張するが、昼間ならいざ知らず、本件事故発生日の日の出は大阪管区気象台によると平地で午前七時五分であったから、本件事故発生時はまだ夜明け前であった。しかも本件事故現場は平地でなく東方に生駒山を控えた山野であったから日の出は七時五分より遅かったはずである。従って事故時にはヘッドライトなしには運転不可能であった。そしてヘッドライトの前方照射距離は第一種原動機付自転車では約二〇米で、しかも約一〇米以上前方は光の拡散により減光され、見透しは悪く、一〇〇米手前から段落を発見認識することは到底できなかった。

二、1.義己は、右事故により、次の損害を蒙り、被告に対して損害賠償請求権を取得した。

すなわち義己は、死亡当時川崎製鉄株式会社製鋼部酸素課に工員として勤務し、一箇月平均四〇、〇〇〇円の収入を有し、死亡当時の年令は三〇才で就労可能年数三〇年を残していた。

生活費の支出は、原告両名分を含めると一箇月平均二五、〇〇〇円であり、義己の死亡によって免れる同人の支出は一箇月平均一〇、〇〇〇円である。

内訳 主食費      一、二〇〇円

副食費      二、二〇〇円

間食費        八〇〇円

ガス電気水道     八〇〇円

衛生費        二〇〇円

衣服費      一、五〇〇円

交際費      二、〇〇〇円

調味料その他雑費 一、三〇〇円

よって本件事故に対する義己の得べかりし利益は五年目毎に中間利息を控除すると六、〇八七、四〇〇円である。

義己の死亡により、原告登美子は妻として三分の一、原告義浩は子として三分の二の割合で右損害賠償請求権を相続した。

2.原告登美子は、義己の葬式費用等計一三六、五六四円を支払い、同額の損害を蒙った。

3.原告登美子は、同三三年三月三一日義己と結婚し、同三五年一一月一〇日には長男原告義浩をもうけて順調で幸福な人生航路を歩んでいたところ、突然本件事故によってその夢を破られ、何らの遺産もなく原告義浩と二人、とり残され、今後の生活の保障、見通しを失ったために蒙った精神的打撃は、はかりしれないものがある。右精神的損害は原告両名について各自五〇〇、〇〇〇円をもって相当とする。

三、よって、原告登美子は得べかりし利益の相続分二、〇二九、一三三円、支出した葬式費用等一三六、五六四円、および慰藉料五〇〇、〇〇〇円の合計二、六六五、六九七円、原告義浩は得べかりし利益の相続分四、〇五八、二六六円および慰藉料五〇〇、〇〇〇円の合計四、五五八、二六六円、ならびに、いずれも右に対する本件損害の発生後であり訴状送達の翌日である同三九年五月五日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、答弁および主張

一、請求原因一項1の中義己が原告主張の日時原告主張の自転車を運転中原告主張の場所で、道路の舗装部分と未舗装部分の段落におちて転倒した際に他の車輌に頭部を轢過されて死亡したこと、道路の北半分が南半分より低く五糎の段落があったことは認めるが、義己の死亡が府道の設置または管理のかしに基づくものであるとの主張は否認する。

同二、三項はすべて争う。

二、(主張)

1.同三八年一月一日本件事故現場は車輌の通行に支障なきよう未舗装部分の両端に取付舗装をなし、かつ工事現場の支障物を全部取り除き見通しを完全にした上、右現場手前に工事予告板および工事標示板を置いて工事の存在を標示していたもので、道路工事につきなんらかしはなかったものである。

2.道路は、その場所の通路として予定ないし予期された性質をもたない場合にかしがある。従って初から手の入れられていない田舎道はある程度の穴があってもかしにはならないが、舗装された都市の道路は舗装が破れて穴ができればかしがあることになる。もっともそれも程度問題で軽微なものはかしとはいえない。

事故現場の前後の路上には見えやすい箇所に大阪府と関西道路建設株式会社の連名で「工事中最徐行」「府道大阪生駒奈良線(自鴻池新田至太子田地内)道路舗装工事中」なることを示す立看板が少くとも四枚掲示されていたから、事故現場は目下工事中であることを認識し得る措置がとられていた。事故現場の五糎の段落は本件事故の起こった午前六時頃には肉眼で明瞭に識別し得たので、一度も事故現場を通ったことがない者であっても、少なくとも、くっさく、または未舗装の部分の存在を予期したものというべきである。道路工事中であるにもかかわらず、自動車運転者に注意を換起する立看板等の掲示をしなかった場合、または五糎の段落を肉眼で明瞭に識別し得ないような場合に始めてその場所の通路として予定ないし予期された性質をもたないとして道路の設置管理にかしがあることになる。

3.義己は道路の中央線を越えて右の部分を通行していた。車輌は道路の中央から右の部分を通行してはならない(道路交通法一七条三項)のであってこれの違反は刑事上の制裁をもって厳禁されている(同法一二〇条一項二号、一二二条)。

自己の責によらない事由で道路の右側部分を車輌が通行することを予想して道路の設置管理をしなければならない場合があるとしても、精々道路の中央寄りを通行することが許されている自動車(自動二輪車および軽自動車を除く)を予想して道路の設置管理をしていれば、当該道路には瑕疵がないというべきである。

舗装部分と未舗装部分との間には五糎の段落があったが四輪車である自動車がこの五糎の段落のためにハンドルをとられて転倒することはあり得ない。

道路の左側部分の中央のみを走ることが許されている原動機付自転車が道路の中央から右の部分を通行することが万一あるとしても、それは道路管理者の責任範囲外の無謀運転である。

従って中央部分で四輪車がハンドルをとられないように立看板を掲示し、五糎のみの段落程度のところまで工事が進行していた本件道路の設置管理にかしはなかった。

4.本件道路の工事区間は全体で一、二〇〇米程で、少なくとも工事区間の両側には立看板があった。

しかし、工事区間に、この看板から何米先で工事しているとか、どういう工事をしているという工事の内容を書いた看板はなかった。

5.原告らは被告が本件道路を完成道路と同様に通行の用に供したと主張しているが、被告は、少くとも本件道路工事の起点と終点には「工事中最徐行」等の立看板を掲示し、夜はランプをつけ、立看板の文字には反射塗料を使うなどして通行者の注意を換起するための措置を講じつつ通行の用に供したのであって完成道路と同様に通行の用に供したのではない。

6.原告らは道路交通法一七条によって原動機付自転車が中央線をこえて通行できる場合があると主張するが、同三八年一月一日当時は道路の左側部分の幅員が三米に満たない道路において他の車輌を追い越そうとするときには道路の右側部分に車輌の全部または一部をはみ出して通行できることになっていたが、本件道路の左側幅員は当時五・六米であったから、義己は道路の右側部分を通行することは絶対に許されなかった。

7.原告らは、車輌の運転者が当然道路幅全部を有効に使用することは十分に事前に予期できると主張するが、車輌の運転者が道路幅全部を有効に利用することが是認されるとすれば、衝突事故は数限りなく発生するであろう。

8.原告らは本件道路は、容易に事故の発生が予想されるから、通行を禁止または制限すべきであったと主張するが、今まで五糎の段落にハンドルをとられて事故が発生したことはない。

またもし通行を禁止または制限するならば、車輌は著しく迂回を余儀なくされ、迂回道路が過密交通量となって新たな交通事故を惹起したり迂回による時間のおくれを取り戻すため運転者が神経をいら立たせて新たな交通事故の原因となり社会経済上大きな支障を来たしたであろう。原告らの右主張は現実性を缺いている。

9.原告らは制限速度を遵守していても二輪車は安定が悪く段落に落ちてから一五・七米走るのは普通であると主張しているが、二輪車は安定が悪く危険性が大であるからこそ四輪車に比して制限最高速度も低くおさえられて、道路の中央部分を走ることは厳禁されており、慎重な運転の必要性は大であった。

10.本件道路工事は占用工事ではないから、占用工事の場合の道路法施行令一五条五号の規定から道路管理者に責任を負わせることはできない。

11.五糎の段落と義己の死亡との間には相当因果関係がない。

義己の前輪が未舗装部分に落ち始めてから一五・七米走ってから転倒している。その間義己はブレーキをかけていない。義己は前輪が未舗装部分に入ってしまった時にもしハンドル操作が困難となったならば運転者としては直ちにブレーキをかけて転倒したりすることのないように注意し万全の措置をとるべきであったにもかかわらず漫然と一五・七米も走っていたのである。直ちにブレーキをかけていれば転倒することはなかったであろう。

被告は従来からも五糎位の段落はそのままにしていたし、警察からも何の指示もなかった。京都山科附近の道路工事では一五糎位の段落があるにもかかわらず道路を一般に解放しているところもある位で、日本の道路工事においては五糎の段落があっても通行者が注意して通るようになっている。

道路工事着手前は、本件府道には亀の甲状に割れている路床道が出ており、通行に支障を来たすような陥没したところもあり、通行者に注意して走ってもらわなければならないところもあったのであるから、本件府道を通行する者は、元来このように少々はいたんでいる田舎道であって、名神高速道路のようには完全でない道路であるということを認識し、注意して通行すべきであった。すべての道路が完備されるのが望ましいが、日本の現状においては直ちに実現不可能である。刑事事件では交通機関による業務上過失致死事件について「許された危険」論が是認され、通行者の責任も重視されるのと同様に、本件のように道路改良工事中は自動車運転者も特に通行の安全性および道路状況に注意すべきである。本件の如く自動車運転者が通行区分違反までしており、僅か五糎の段落しかなく、かつ未舗装部分になだらかな取付舗装がしてあった場合に、道路管理者が死亡についてまで責任を負わなければならないというのは、道路管理者に不可能を強いるものである。

12.成田山からの帰路義己は、事故現場から約三〇〇米のところにあった「工事中最徐行」の立看板の掲示してあったところを通行したと推定できる。すなわち義己の住居、事故地点、立看板掲示の位置、成田山の位置などを総合すると、義己は右看板を見たか、また見ることができたのにかかわらず、工事に注意を払わず、減速もせず、通行区分を守らず、無謀な運転をした。

三、よって本件道路の設置管理にかしはなく、義己の死亡と本件道路状況とは因果関係はなかったのであるから、原告らの請求は、棄却されるべきである。

仮に被告に責任があるとしても、義己は、前記の過失のほか、飲酒して、制限速度を上廻る時速六〇ないし八〇粁で、前駆車を追い抜こうとし、区分通行を誤って右側に出て転倒し、後続して来た右前駆車にひかれて死亡したものであるから、これらの過失は損害賠償額の決定について斟酌されるべきである。

第四、証拠≪省略≫

理由

一、義己の死亡

1.次の事実は、当事者間に争いがない。

同三八年一月一日当時事故現場附近は道路舗装工事が施行されており、未完成であった。東西に延びている本件府道の幅員は一一・二米であり、未完成部分は事故現場附近の道路の北側半分(幅員五・六米)であった。右未舗装部分は、舗装の完成した右側半分より低く、道路中央部分には北側と、南側との高低の差が段落となって存在していた。義己は、同日午前六時頃第一種原動機付自転車を運転して東から西に向って進行して来て本件事故現場で、右段落に前輪を落して転倒し、他の車輛に頭部をひかれて死亡した。

2.≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

義己は、右自転車に乗り、同日午前五時頃、自宅から成田不動尊に参詣に出かけ、その帰途、前記時刻頃、事故現場にさしかかった。事故現場附近で行われていた舗装工事の区間は全長一、二七四米、工事期間は同三七年五月三〇日から同三八年二月一五日までであった。事故当時、工事未完成部分は、終点(工事区間の最東端)から西に三〇〇米の箇所(以下(イ)点という)から始まって西に約八〇米の間(幅員五・六米)であり、この区間の道路南側の半分はアスファルト舗装が完了していたが、北側の半分はコンクリートの下地の状態でアスファルト舗装ができていなかった。そのため道路の北側が南側より低くなっていて、その段落の高低の差は五ないし七糎であった。義己は、(イ)点で乗っていた自転車の前輪が段落に落ちて、自転車の左「足のせ」が道路南側の舗装完了部分の路面に触れたため、自転車が安定を失って(イ)点から約一五・七米の地点で路上に転倒し、道路表面に頭部を強く打ちつけて倒れた。その体を、同所を通過した他の車がひいたので、義己は、頭骨粉砕骨折、脳挫滅、左頬骨々折などの負傷をしてその場で死亡した。

二、府道のかしと被告の責任

1.事故現場の道路は、府道大阪生駒奈良線であって、被告の管理にかかるものであることは、被告の明らかに争わないところであるから、自白したものとみなされる。

2.右府道を東から西に向って進行して来る車にとって、事故現場(イ点)にさしかかる前の約三〇〇米は、舗装工事の完成した走りやすい良い道路となっていたこと、(イ)点から西へ約八〇米にわたり五ないし七糎の段落が存在したことは前認定のとおりである、

3.≪証拠省略≫によると、本件事故当時本件府道には、すでに舗装工事が完了した前記三〇〇米の部分にもまだ中心線が標示されていなかった。

事故現場の東方約五〇米の地点で稍南に半経約五〇〇米のゆるいカーブがあって、東から西に向う車は右カーブを通過した勢いで遠心力の作用により事故現場附近では右方の道路中央寄りになりがちであった。

段落の存在は、南側から日光の直射を受けて濃い影ができた場合には認識できるが、日中でも日光がかげると、肉眼では少しはなれた距離における進行中の車上からの認識が困難であったのに、事故現場附近には、照明灯などの設備が全くなかった。

本件道路については、第一種原動機付自転車の最高制限速度については特に指定がなく、法定の時速三〇粁であった。

以上の事実が認められる。被告主張の如き写真であることが当事者間に争いのない検乙二号証の一ないし四は他の工事現場の写真であり、しかも七月八日の昼間に段落に接近した場所において静止した状態で撮影したものであるから、右認定を左右するものではなく、他に右認定をくつがえすに足る証拠がない。

右事実によると、府道の舗装の完成した部分を東から西に向って高速で疾走して来た車が予期しない段落に誤って車輪を落したならば、二輪車の場合は操縦の平衡を失って車体の片側を段落部分に擦れ合わせ、または「足のせ」を路面に接触させて転倒し、四輪車の場合でも車体の急激な傾斜に狼狽した運転者がハンドルをとられ、または不自然なブレーキをかけて不測の事故を起こす危険のあることは十分予測できたところである。

4.証人金沢語一の証言によると、本件事故の約一箇月前にも本件事故現場の約一五〇米西方で原動機付自転車に乗っていた者が、本件事故と同様な状態で転倒して負傷した事故が起きたことが認められる。この認定に反する証人山内賢二の証言中該当供述部分は交通事故の調査担当者の供述ではないから金沢証言と較べて措信できない。

5.被告は本件道路工事の起点と終点には、路肩に「お願いと題する協力依頼の工事予告板」(検乙一号証の一)と、「工事中最徐行と記載された工事標示板」(同号証の二)とのような看板が、本件事故当時に立てられていたと主張する。

しかし、仮に被告主張のような看板が立てられていたとしても、それは道路上に存在せずに、路肩に立てられていたというのであるから、進行中の車上から看過されやすい。

特に検乙一号証の一のような状態の場合にはその看板の後方で施行されている建設工事に関するものと受け取られやすく、道路を走行する車の運転者の注意を惹かないものと考えられる。現に証人北出和幸は同人が本件事故の約一時間後に実況見分のため本件現場に行ったときにも、このような看板を見た記憶がないと供述している。

また、かりに右予告板または標示板に気付いたとしても、現実に道路上に工事らしいものが見えなければ、運転者は工事がすでに終了しているのにこれらが撤去されないので放置せられているものと思いがちである。

従ってこのような立看板は運転者からよく見え、危険な箇所が一目で判るような適切なものでなければ、存在自体無意味であって、前記の如き立看板だけを撤去せず残していたからといって被告が管理責任を尽したとは言えない。

以上の事実によると、府道は事故現場附近の段落の存在により、道路の通常備えていなければならない安全性を缺くかしを有するものであったといわなければならない。

右の如きかしがある以上、被告は、工事完了までの間段落部分に斜の取付舗装をするか、段落の存在が夜間に進行中の車上からでもはっきり認識できる標識を掲げて通行車輛の徐行、注視および段落部分からの避譲を促がすなどして右危険の発生を未然に防止するための措置を講ずる義務があった。

6.当時被告が事故現場附近で交通制限の措置をとっていなかったことは、当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫によると、次の事実が認められる。

被告は、関西道路建設株式会社に請負わせて本件府道の舗装工事を施行したので、被告からは山内賢二を現場に派遣して工事監督に当らせていた。事故現場附近には同三七年の年末頃までは舗装工事中の箇所につるはしの絵を描いた標識が立ち、道路中央部分に囲いが作られており、夜は赤い豆電球が点灯されていた。しかし同年末の正月休みに入る際に、山内監督員は右会社の工事責任者に指示して、右の標識、囲い、豆電球などを取り除かせ、正月休みの期間中、段落をそのままにして道路を一般の使用に供した。そのため事故発生の約一時間後に警察官北出和幸が現場で実況見分をしたときには事故現場附近に何らの標識も存在していなかった。(甲七号証の三の写真にもそのような標識がうつっていない。)

以上のとおり認めることができる。右認定に反する証人山内賢二同巴山守四郎の各証言中該当供述部分は措信しない。特に山内賢二の証言中八〇糎掘り下げたときだけ豆電球をつけることにしていたという供述は、≪証拠省略≫により同三八年二月一三日に既に八〇糎掘下げ箇所がないのにかかわらず赤ランプ四個を午後五時から翌朝午前八時まで点灯していたことが認められることに照らしても、措信できない。

そうすると、義己が転倒して死亡するに至った本件事故は、被告の道路管理上のかしに基づくものと認められるから、被告は原告らに対しその蒙った損害を賠償する義務がある。

三、損害額

1.義己の得べかりし利益

イ、稼働可能期間

≪証拠省略≫によると、義己は同七年一月一一日生であることが認められる。

原告登美子本人尋問の結果によると、義己は健康で、川崎製鉄株式会社製鋼部酸素課に工員として勤務していたことが認められる。

厚生省の統計による生命表によると右年令の男子平均余命は約四一年であり、義己の職業に照らし、少くとも本件事故が起こらなければ、三〇年は稼働可能であったと認めることができる。

ロ、平均収入と支出すべき生活費

原告登美子本人尋問の結果によると、義己の死亡当時の一箇月の収入は平均四〇、〇〇〇円を下らないものであり、義己一人の生活費は一箇月につき多くても一〇、〇〇〇円であったことが認められる。右事実によると生活費を控除した義己の死亡により喪失した得べかりし利益は少なくとも一箇年につき三六〇、〇〇〇円を下らないものであったと考えられる。

ハ、よってホフマン式計算法により民事法定利率年五分の中間利息を、一年毎に差し引くのが合理的であるから、その方法によって得べかりし利益を計算すると、六、四九〇、五五三円(円未満四捨五入)となることが計算上明らかである。

ニ、≪証拠省略≫によると原告登美子は義己の妻であり、同義浩は同人の子であって、原告二人が同人の相続人であることを認めることができる。

そうすると、右得べかりし利益は、その三分の二である四、三二七、〇三五円が原告義浩に、三分の一である二、一六三、五一八円が同登美子に相続されていることになる。

2.葬式費用等

≪証拠省略≫によると、原告登美子は本件事故の結果同三八年一月三日から二月二三日までの間に義己の葬式その他の費用として一三六、五六四円を支出し、同額の損害を蒙ったことが認められる。

3.慰藉料

原告登美子本人尋問の結果によると次の事実が認められる。

義己は原告登美子と同三三年三月二三日に結婚し、同三五年一一月一〇日に原告義浩をもうけた。義己は健康で病気をして会社を休んだこともなく、残業以外で帰宅が遅くなるようなこともなく、酒も煙草ものまず、勝負事もしたことのない、原告義浩の成長を唯一のたのしみとする子煩悩な父で、原告登美子との夫婦仲もよかった。従って原告登美子も同義浩もきわめて幸福に暮していた。義己死亡後は遺産もなく、原告登美子は、ミシン屋に勤めたり、臨時工員として働いたり、事務員として働いたりしているが生活費にも窮するようになっている。原告登美子には母親がいるが、その母親は住居一軒(現在居住)を持っているだけで他に財産がなく原告らの生活を経済的に援助する力もない、義己の実家は、熊本県で、両親や兄弟五人がいるが、両親は野菜畑を持っているだけで年二回位米、胡瓜、トマトなどを原告義浩に送ってくる位のことしか出来ない。

以上のとおり認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

そうすると本件事故によって突然生活の支柱である愛する夫又は父を失った原告らの精神的苦痛の回復にはそれぞれ少なくとも五〇〇、〇〇〇円の慰藉料の支払いを受けなければならないものと認められる。

4.そうすると、義己の得べかりし利益の相続分を合せると、本件事故により蒙った損害の合計は、原告登美子が二、八〇〇、〇八二円、原告義浩が四、八二七、〇三五円ということになる。

四、過失相殺について

1.義己は段落の存在を知っていなかった。

前認定のとおり義己は成田不動尊に参詣に行った帰途事故現場を通ったのであるが、往路に事故現場を通ったとか、事故当日以前にも本件事故現場を通ったとかいうことは、これを認めるに足りる証拠はない。

2.義己が段落の存在を知り得べきであったということはできない。

段落の存在を知り得るような標識がなかったこと、本件事故現場までは少くとも三〇〇米は良い道路であったこと、本件事故現場附近には照明燈などの設備がなかったこと、段落の存在は少し離れた進行中の車上からは見え難いものであったこと、は前述の通りである。

本件事故当日の日の出は、大阪管区気象台によると、平地で午前七時五分であったとの原告の主張については被告は明らかに争っていないからこれを自白したものとみなされる。

従って本件事故の発生した午前六時頃には、まだ暗かったか、少くとも薄暗かったものと認められる。右認定したところによると義己の乗っていた自転車上から進行中に右段落を発見することはたとえ前照燈をつけていても困難であったといわなければならない。

3.義己が当時酒に酔っていたことを認めるに足る証拠も、それを窺わせるような証拠もない。

4.義己がスピードを出し過ぎていたことを認めるに足る証拠はない。義己の車の前輪が段落に落ちた(イ)点から、義己が頭部を道路上に激突させた地点までの距離が一五・七米であることは前記の通りであるが、前認定の通りの最高制限速度時速三〇粁で走ると、一五・七米は僅か一・八八秒で通過するのであり、証人北出和幸の証言によると義己はスリップ痕を残しているが、ブレーキを踏んで残したスリップ痕ではなく、よろめいて残したスリップ痕であること、死体の位置、ハンドルスリップ痕など現場に残された状況は最徐行していても生じ得ることが認められる。結局義己がスピードを出し過ぎていたことは認められない。

5.義己が事故現場で道路中央部分を進行していたことは前記のとおりであり、第一種原動機付自転車を運転する者は道路左側部分の中央を進行しなければならないことは道路交通法一九条の明記するところである。

しかし義己が本件事故にあったのは第一種原動機付自転車の通行も当然予想せらるべき本件府道上のことであり、本件事故は工事中の道路の管理上のかしによるものであるから、義己の右通行区分違反の事実は本件事故についての同人の過失とすることができない。

6.右の他には、義己に過失のあったことを認めるに足る具体的な主張立証はない。

五、しからば、前記損害の範囲内において原告登美子は二、六五五、六九七円、原告義浩は四、五五八、二六六円、およびいずれも右に対するこれらの損害の発生した後であり本件訴状送達の翌日であることの明らかな同三九年五月五日から右金員に対する民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める本訴請求は、いずれも理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前田覚郎 裁判官 木村輝武 裁判官白井皓喜は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 前田覚郎)

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